『普通』と『普通じゃない』って何・・・?
『人生の自由研究』へようこそ。
さて、前回の話しを少し掘り下げて書きたいと思います。
(前回の話しはこちら 👉 突き抜けた『変わり者』になろう。)
もうかれこれ5年前ぐらいの話しになるでしょうか。
以前勤めていた職場で、同僚とこんな話しになりました。
自分が『今年限りで退社する』という話しをして、それを聞いた同僚がこう言ったのです。
「この仕事を辞めるってことは、“諦めた” ってことですよね?この会社で通用しなければ何処言っても通用しませんよ。」
「松木さん(仮)は “普通” じゃないから、そんな ”冒険” ができるんですよね。僕たち “普通” の人は、”普通” の生活しか出来ないんですよ。」
「松木さん(仮)は、そうやって “逃げられる” から良いですよ。僕たちは “逃げられない” からここしか居る場所が無いんですよ。」
これを聞いて自分は、(こいつは何をそんなに苛立っているんだ?)と感じました。
・・・・『普通じゃない』ってなんだ?・・・そもそも『普通』ってなんだよ。
・・・・『逃げられる』ってなんだ?・・・べつに『逃げてもいい』じゃん?
そんないろんな疑問が沸いてきました。
自分は思いました。
確かに、何かの物事を自分に理解しやすいように『グループ分け』したり『線引き』するのは、仕方の無いことだと思います。
何故ならそうすることで、自分と相手の立ち位置を明確にして自分の考えを正当化、あるいは相手を否定するのが簡単になるからです。
自分も少し前までは『世間一般の考え方』の持ち主は『普通の人達』、そこから逸脱した『考え方の違う者たち』を『普通じゃない人』、あるいは『変わり者』と勝手にグループ分けしていました。
そして自分も『普通じゃない人』と分類していました。
これもある意味、自分を正当化していたのだと思います。
自分もだいぶ 『異端児扱い』されてきましたからね・・・。
しかし、いろんな人達の話しを聞いているうちに、少し違うんじゃないかと思い始めました。
ただ単に『生きる世界』や、『考え方』が少しだけ違うだけなのです。
生きる世界が違うから考え方が違うというのは、国が違えば文化が違うのと似ています。
だから、考え方や生き方が違って当然なのであって、生きていく方法も多様化してしかるべきだと思うのです。
もう単純に『普通』と『普通じゃない』というだけでは判断できないのです。
これからはそれぞれの生き方や考え方を、どうやって実現していくか・・・それを考えていかなければならないと思うのです。
日本では、まだまだその考え方が受け入れられていない様には感じられますが、人生の『選択肢』は多いほうが良いと考えます。
自分は『普通』だからとか決め付けて、生きる世界を狭めるのは非常にもったいないです。
その同僚の言う『普通の世界』 が、彼にとって居心地の良い場所ならいいでしょう。
しかし残念ながら、彼の言葉からはそれは感じ取れませんでした。
自分にとって『違和感』や『モヤモヤ』を強く感じたならば、それを探すのも良いと思います。
それを探すことすら止めてしまった時こそ、それが彼の言う『諦めて逃げてしまった時』だと自分は思うのです・・・。
今ある現状が自分の目指す 『真の姿』と違うから、求める世界に『シフト』しただけなんですから・・・ね。
このブログが生きていくための何かの参考になれば幸いであります。
では、また (=゚ω゚)ノ
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